「パパはスーパーマンだから大丈夫」――そう言って、娘の前で引き攣(つ)った笑顔を作っていませんか?
32歳の拓真は、妻と死別し、5歳の娘を一人で育てるシングルファーザー。「完璧な父親」を目指し、仕事と育児の限界に達していた彼を救ったのは、アプリで出会った38歳の看護師・智世でした。年上の彼女が教えてくれたのは、鎧を脱ぎ、誰かに甘える勇気。娘・美結との距離をゆっくりと縮め、三人の絆を紡いでいく物語。孤独な戦いを終え、新しい家族の形を見つけるまでのストーリー。
プロローグ:消えない面影と、冷たい弁当箱
朝5時。まだ夜の帳(とばり)が落ちている部屋で、32歳の僕、拓真(仮名)の一日は始まる。
キッチンの蛍光灯が、チカチカと頼りなく点滅している。まな板を叩く音だけが、静かな部屋に響く。
5歳になる娘・美結(みゆ)の幼稚園のお弁当。彩りを考え、栄養バランスを気にし、大好きなおかずを詰め込む。
「……うん、いい出来だ」
自画自賛してみるが、胸の奥にはいつも、冷たい隙間風が吹いている。
3年前、妻の真央は病で逝った。あまりにも急だった。
20代後半、これから幸せの絶頂を迎えるはずだった僕たちの時間は、残酷に断ち切られた。
「美結を、よろしくね」
最期の言葉を守ることだけが、僕の生きる目的になった。
32歳。世間の同年代がキャリアアップに燃え、週末は趣味や合コンに興じている中で、僕は「完璧な父親」であろうと必死だった。
時短勤務を使い、同僚に頭を下げて退社し、スーパーへ駆け込み、娘を迎えに行く。
「パパ、今日のご飯なに?」
「美結の好きなハンバーグだよ。パパはスーパーマンだから、なんでも作れちゃうんだ」
そう言って笑う僕の顔は、果たしてどんな風に映っていたのだろう。
娘に寂しい思いをさせたくない。母親がいないことを欠落だと思わせたくない。
その一心で、僕は自分の「弱さ」を、幾重もの鎧の中に閉じ込めていた。
第1章:スーパーマンの限界
秋の夜、美結が40度の熱を出した。
運悪く、仕事では大規模なプロジェクトの締め切りが重なっていた。
左手で美結の額を冷やし、右手でノートパソコンを叩く。
「うぅ……パパ、いたい……」
うなされる娘。
画面に並ぶ無機質な数字。一睡もできないまま夜を明かし、翌朝なんとか資料を提出、そして病院へ駆け込み、必死の看病を続けた。
ようやく美結の熱が下がり、穏やかな寝息を立て始めたのは三日後の夜だった。
嵐が去った後のような、静まり返ったリビング。僕はキッチンの床に座り込み、一口も食べられずに伸びきったカップ麺を見つめていた。 安堵(あんど)したはずなのに、心臓の奥が冷たく震えている。
「……助けてくれ」
口に出して初めて、自分が限界だったことに気づいた。
死別以来、実家にも頼らず、誰にも弱音を吐かずに走ってきた。でも、一人で育てるということは、孤独の中で全ての決断を下し、全ての責任を負うということだ。
誰に「大変だったね」と言ってもらえるわけでも、代わりの誰かがいるわけでもない。
もし、僕が倒れていたら。もし、このまま一人で歳を重ねていったら。
暗い部屋で、僕は抑えきれない嗚咽(おえつ)を漏らした。
パパはスーパーマンじゃない。ただの、心細い32歳の男なんだ。
数日後、美結を幼稚園へ送り出し、少しだけ時間ができた平日の午前中。僕は、以前職場の先輩に「息抜きに登録してみろ」と言われて放置していたマッチングアプリを、震える指で開いた。
これまでは「自分に恋愛をする資格なんてない」と、真央への罪悪感から避けていた場所。けれど、あの高熱の夜に感じた死ぬほどの孤独が、僕の頑(かたく)なな心を溶かしていた。
「……誰かに、僕という人間を見てほしい」
出会いというより、凍えそうな心を温める場所を求めるような気持ちで、僕はプロフィールを入力し始めた。
第2章:38歳、看護師。静かな湖のような女性
そこで出会ったのが、38歳の智世(ともよ)さんだった。
プロフィールの写真は、病院の中庭だろうか、木漏れ日の下で穏やかに微笑む姿。
「職業:看護師」
「趣味:読書、料理」
僕は、自分の境遇を包み隠さず書いた。
死別したこと、5歳の子どもがいること、毎日が必死であること。
返信は、翌朝に届いた。
『拓真さん、はじめまして。毎日、本当にお疲れ様です。看護師をしているせいか、頑張りすぎている人を放っておけなくて。もしよろしければ、私に少しだけ、あなたの背負っている荷物を下ろさせてくれませんか?』
年上の彼女の言葉は、熱を出した僕の心に、冷たいガーゼを当てるように優しく届いた。やり取りを始めて気づいたのは、彼女の圧倒的な包容力だった。
仕事での悩み、子どもへの接し方、そして真央との思い出。普通なら引いてしまうような重い話も、智世さんは「そうだったんですね」「それは大変でしたね」と、静かに受け止めてくれた。
「智世さんと話していると、自分が『パパ』ではなく、『拓真』という一人の人間に戻れる気がします」
「それは良かったです。拓真さんは、もう十分に頑張っていますよ」
彼女に会いたい。 その思いが強くなるのに、時間はかからなかった。
第3章:子どもと、彼女と。三人の時間
初めて智世さんに会ったとき、僕は美結も連れて行くことにした。
「子どもを会わせるのは早い」という意見もあるだろう。でも、僕にとって美結は人生そのものだ。美結を受け入れてもらえないのなら、この関係に未来はない。
待ち合わせは、休日の大きな公園だった。
「あ、パパ! あの人?」
美結が指差す先に、智世さんが立っていた。彼女は、美結の目線に合わせてその場にしゃがみ込んだ。
「初めまして、美結ちゃん。お花、たくさん咲いてるね」
「うん! これ、みゆがつくったの。あげる!」
美結が拾った落ち葉を差し出すと、智世さんはそれを大切そうに受け取った。
「ありがとう。宝物にするね」
その瞬間、僕の中にあった警戒心が、スーッと消えていくのが分かった。
看護師という仕事柄だろうか、智世さんは子どもとの距離を縮めるのが驚くほど上手かった。無理に「ママ」になろうとするのではなく、一人の親愛なる友人として美結に接してくれる。
その日から、三人の時間は増えていった。
智世さんは、僕が美結を叱りすぎてしまったとき、
「拓真さん、それは美結ちゃんじゃなくて、自分にイライラしているだけですよ。少し休みましょう」
と、優しく、でも的確に指摘してくれた。
美結も、智世さんに懐(なつ)いていった。
「ねえ、ともよさん。パパね、たまに夜、一人で泣いてるんだよ」
美結が不意に言った一言に、僕は絶句した。気づかれていた。隠していたはずの僕の弱さを、この小さな子どもはずっと見ていたのだ。
智世さんは、僕の手をそっと握り、美結に言った。
「美結ちゃん、教えてくれてありがとう。これからは、私がパパを支えるからね」
第4章:鎧を脱いだ夜
それから半年くらい経った、ある土曜日の夜、智世さんが僕の家で夕食を作ってくれた。
美結が智世さんの膝の上で眠りにつき、部屋に柔らかな静寂が訪れた。
「拓真さん、お茶、淹(い)れましたよ」
ソファに座る僕の隣に、智世さんが腰掛ける。
「……智世さん。僕は、ずっと怖かったんです」
僕は、膝の上で手を握りしめた。
「若くして妻を亡くして、自分までいなくなったら美結はどうなるのか。僕が完璧じゃなければ、この子の幸せは守れない。そう思って、毎日戦ってきました。でも、最近……自分でも、自分が何者なのか分からなくなっていたんです」
智世さんは、僕の言葉を最後まで遮らずに聞いてくれた。
「拓真さん。あなたはスーパーマンなんかじゃない。32歳の、一生懸命生きている素敵な男性です。母親代わりになろうとしなくていい。美結ちゃんの父親として、そして私の大切なパートナーとして、ただそこにいてくれるだけでいいんです」
「……甘えても、いいんですか」
「もちろんです。そのために、私はここにいるんですから」
僕は、智世さんの肩に顔を埋め、子どものように泣いた。
鎧を脱ぐというのは、こんなにも心許(もと)なく、そして温かいものなのか。
30代前半。自分はもう、誰かに守られる年齢ではないと思っていた。でも、智世さんの温もりに触れて、僕は初めて「許された」気がした。
一人で抱えなくていい。誰かに頼っていい。 それが、真の強さへの第一歩なのだと。
第5章:新しい家族の輪郭
季節が巡り、美結の幼稚園の卒園式が近づいていた。
式に向かう朝、鏡の前でネクタイを締める僕の隣に、智世さんがいた。
「パパ、かっこいい!」
美結が、新しく買ってもらったランドセルを背負って跳ね回っている。
「拓真さん、曲がっていますよ」
智世さんが笑いながら、僕のネクタイを直し、最後にポンと胸を叩いた。
「よし、完璧です。スーパーパパ、行ってらっしゃい」
「……もう、スーパーパパはやめたよ。ただの、拓真パパで行くことにする」
僕たちは顔を見合わせて笑った。そこには、血の繋がりを超えた、新しくて確かな「家族」の輪郭があった。
智世さんと出会ってから、美結は「良い子」でいることをやめた。わがままを言い、甘え、時には泣きじゃくる。それは、彼女が「自分は守られている」と心から安心できた証拠だ。
そして僕も、仕事で辛いことがあれば、夜に智世さんの声を聞き、弱音を吐く。すると、翌朝にはまた、娘のために笑える活力が湧いてくるのだ。
エピローグ:光差すキッチン
朝6時。キッチンの蛍光灯は、新しいものに取り替えて、今は明るく輝いている。
以前のように、一人きりで必死にまな板を叩く音ではない。隣には智世がいて、朝食の準備を分担しながら、今日一日の予定を語り合っている。
「拓真、美結が今日は給食に大好きなカレーが出るって楽しみにしてたよ」
「あはは、そうだね。幼稚園の時は毎日お弁当だったから、みんなで同じものを食べる給食が新鮮みたいなんだ」
美結は今年、小学校に入学した。
幼稚園時代、僕が自分の限界を削って詰め込んでいた「パパの特製弁当」はもうない。けれど、給食の献立表を冷蔵庫に貼り、夕食のメニューが重ならないように相談し合う。そんな、ありふれた、けれど贅沢(ぜいたく)な日常がここにある。
「パパ、いってきます!」
新しいランドセルを揺らして玄関へ向かう美結の背中を、僕と智世、二人で送り出す。
「車、気をつけてね!」
智世と出会ってから、僕の人生に色彩が戻ってきた。
死別という深い闇を通ったからこそ、今、隣で微笑む彼女の明るさが、どれほど尊いかを知っている。
32歳。僕の人生は、一度終わったのだと思っていた。でも、勇気を出してアプリの扉を叩いたあの日、僕は自分の人生を、そして美結の笑顔を、もう一度手に入れることができた。 支え合うことは、弱さではない。 大切な誰かと共に生きるための、最も強い勇気なのだ。
新しい自分へ、そして新しい家族へ。 僕は智世の手を握り、美結の呼ぶ声が響く、光差す未来へと歩き出す。
一人で全てを背負い、「完璧なパパ」であろうと無理をしていませんか?あなたの頑張りも、その裏にある孤独も、丸ごと受け止めてくれる人がいます。自分のために幸せを願うことは、子どもにとっても大きな安心に繋がります。もう一度、誰かと共に歩む温かさを。新しい自分へ、家族のストーリーを今から始めましょう。
