「孤独死を避けるための契約をしませんか?」――58歳の進一が出会ったのは、冷徹な『生存確認』を提案する女性・冴子でした。
愛はいらない、干渉もしない。ただ、独りで死ぬことだけを防ぐための「契約家族」。しかし、冴子が病に倒れたとき、進一が取った行動は契約違反そのものでした。理屈で塗り固めた関係が崩れ去り、剥き出しの心が触れ合ったとき、二人は初めて本当の「独りではない安心」を知ります。50代後半が直面する老いへの恐怖を、温かな絆へと変える大人の再生ストーリー。
プロローグ:デジタルな生存確認
午前7時。スマートフォンの画面に、一件の通知が届く。
『おはようございます。本日も異常ありません』
送り主は、アプリで出会って半年になる冴子さん(仮名・55歳)だ。
僕、進一(仮名・58歳)も、定型文のような返信を返す。
『おはようございます。こちらも変わりありません』
これが僕たちのルーティンだ。愛の囁きも、日常の他愛ない報告もない。ただ、お互いが「今朝も生きて、動けていること」を確認し合うためだけの信号。
58歳、バツイチ。一人娘は海外で家庭を築き、もう数年会っていない。中堅メーカーで管理職を務め、退職金と貯蓄を合わせれば、老後の資金に不安はなかった。けれど、夜、一人で寝静まったリビングでふと思うことがある。
「もし今、ここで心臓が止まったら、誰が最初に見つけてくれるだろうか」
冷たいフローリングに横たわり、誰にも気づかれず腐敗していく自分の姿。その恐怖は、どんな経済的困窮よりも僕を震え上がらせた。
僕が求めていたのは、煌びやかな恋愛ではない。「死の瞬間、あるいはその直後に、僕の存在を認識してくれる誰か」だった。
第1章:合理的な「壁」の構築
マッチングアプリで冴子さんを見つけたとき、そのプロフィールの潔さに目を奪われた。
『恋愛、再婚、同居は求めていません。ただ、孤独死を回避するための「相互監視」ができる方を募集します。週に三回の食事と、毎朝の生存確認。介護は外注。情には流されず、契約として寄り添える方を希望します』
会ってみた彼女は、プロフィール通りにクールで知的な女性だった。
かつては外資系企業でバリバリ働いていたという彼女もまた、一人で死んでいくことへの合理的な恐怖を抱えていた。
「私たちはもう、若くありません。情熱で繋がるには疲れすぎているし、結婚という制度に縛られるには自由を知りすぎている。だから、契約を結びましょう」
銀座の静かなレストランで、彼女は「契約書」と銘打ったメモ帳を広げた。
- 互いの生活には干渉しない
- 経済的な援助は行わない
- 病気や介護が必要になった際は、速やかにプロのサービスを手配し、深入りしない
- ただし、週に三日は「生存確認」を兼ねて共に食事を摂る
「これで、お互い安心して『個』を貫けますね」
他にも細かい項目がいくつも書かれていた。彼女が差し出したペンを握り、僕はサインをした。
それは、傷つくことを恐れ、責任を負うことを拒んだ僕たちが、お互いを守るために築き上げた分厚い「外殻」だった。
第2章:機能的な日常と、かすかな違和感
僕たちの関係は、驚くほど機能的だった。 月曜、水曜、金曜の夜。決まった店で会い、最近読んだ本や社会情勢について、まるで同僚のように語り合う。
冴子さんは凛としていて、適度な距離感を保つ達人だった。僕もまた、彼女の領域に踏み込まないよう、細心の注意を払った。
「進一さん、今日のネクタイ、曲がっていますよ。……あ、失礼。干渉でしたね」
「いえ、助かります。……あ、でも、自分で直せますから大丈夫です」
そんな風に、差し伸べようとした手をあえて引っ込めるようなやり取りを繰り返す。
寂しくはない。むしろ、これほど気楽な関係はないと思っていた。誰にも心を乱されず、将来の不安だけをヘッジ(回避)できている。
僕たちは、人生の終盤戦を戦い抜くための「完璧な戦友」になれたはずだった。
けれど、契約から一年が過ぎた頃。冬の風が吹き荒れる夜、冴子さんが食事中に小さく咳き込んだ。
「大丈夫ですか?」
「ええ、少し乾燥しているだけです。契約通り、自分で管理しますから」
彼女の微笑みは完璧だった。
でも、その瞳の奥に、一瞬だけ、助けを求めるような揺らぎが見えた気がした。僕は、見なかったことにした。それが、僕たちの「契約」だったから。
第3章:崩壊したシステム
その日は、金曜日。
待ち合わせの店に、冴子さんは現れなかった。連絡もない。毎朝のルーティンであるLINEも、今朝は届いていなかった。
胸騒ぎが、冷たい水のように背筋を伝う。僕は彼女のマンションへ向かった。
契約上、緊急時のために合鍵は預かっていたが、「許可なく入室しない」という項目もあった。チャイムを鳴らしても、応答はない。
「冴子さん! 入りますよ!」
鍵を開け、飛び込んだ寝室。そこには、高熱で意識を混濁させ、ベッドから転落した冴子さんの姿があった。
「……あ、進一さん……ダメよ、入っちゃ……契約……違反……」
朦朧(もうろう)とする意識の中で、彼女はまだ、自分を守るためのルールに縋(すが)り付いていた。
僕は彼女を抱き上げた。 信じられないほど、軽かった。あんなに強気で、合理的で、独りで生きると豪語していた彼女が、僕の腕の中で震えている。
「契約なんて、クソ食らえだ!」
僕は叫んでいた。 救急車を呼び、病院へ付き添う。
医師からは「急性肺炎です。発見がもう少し遅れていたら……」と言われた。
真っ白な病室で、酸素マスクをつけた彼女を見つめながら、僕は椅子に座り込み、自分の手を眺めた。震えていた。
孤独死を恐れていたのは、僕だった。でも、本当に恐ろしかったのは「誰かのために、取り乱す自分」と向き合うことだったのではないか。
第4章:本当の「独り」を知った日
三日後、冴子さんの意識がはっきりする。
彼女は僕の顔を見るなり、視線を逸らして言った。
「……情けないところを見せました。今回の費用と、あなたの時間は、後で精算します。それから、契約違反ですので、この関係は解消ということに……」
「冴子さん」 僕は、彼女の言葉を遮った。
「もう、やめましょう。そんな、自分を縛るだけの遊びは」
「遊びじゃありません。私は、独りで生きていく覚悟を……」
「嘘だ!」
僕は、彼女の手を握った。契約上、一度も触れることのなかった、彼女の生身の肌。
「独りで生きる覚悟なんて、本当は誰も持っていないんだ。僕も、あなたも。ただ、独りで死ぬのが怖くて、傷つくのが怖くて、契約という『まやかし』で自分を固めていただけだ」
冴子さんの瞳から、涙が溢れ出した。
「……怖かった。本当は、ずっと。進一さんに電話したかった。でも、迷惑だと思われたら、契約を切られたら、私は本当に誰にも見つけてもらえなくなるって……」
僕たちは、50歳を過ぎた大人だ。社会の荒波を越え、酸いも甘いも噛み分けてきた。
なのに、この病室で向き合っているのは、暗闇に怯える二人の幼い子どものようだった。
僕も泣いていた。 彼女を救った安堵感と、自分もまた、彼女に救われていたという事実に気づいたからだ。
「冴子さん。契約は破棄しましょう。これからは、生存確認のためじゃなく、あなたが笑っているのを見たいから、僕は会いに来ます。……看取るためじゃなく、一緒に生きるために」
第5章:契約なき空の下で
退院の日、病院のロビーで待つ僕の元へ、冴子さんが歩いてきた。いつもの完璧なスーツではなく、柔らかいニットのカーディガンを着て。
「進一さん。今日、どこかで美味しいスープでも飲みませんか? 契約じゃなくて、私のリクエストで」
「いいですね。僕も、今日はどうしても話したいことがあったんです。……全然、論理的じゃない話を」
僕たちは、笑い合った。
朝のLINEは今も続いている。 でも内容は、『生きています』から、『ベランダの花が咲きました』や『今夜の献立、何が良いですか?』に変わった。
僕たちは、結婚はしないかもしれない。それぞれに自分の城を持ち、適度な距離を保ち続けるだろう。
でも、もう「契約」という形に頼る必要はなかった。
形のない「想い」というものが、どれほど脆く、そしてどれほど強固に人間を繋ぎ止めるかを、僕たちは身をもって知ったからだ。
エピローグ:不合理な幸福
ある日の夕暮れ。二人で近所の公園を歩いているとき、冴子さんがふと立ち止まって空を見上げた。
「進一さん。私、あの時気づいたんです。孤独死が怖いのは、死ぬこと自体じゃなくて、自分の人生に『目撃者』がいなくなることだったんだって」
「目撃者?」
「ええ。私が今日、何を見て、何を想ったか。それを誰かに伝えられないまま消えていくのが、何より耐えがたかった。……今は、進一さんが見ていてくれるから、私はいつ消えても大丈夫だって思えるんです」
僕は彼女の肩を抱き寄せた。
58歳。人生の秋。かつて僕たちは、自分を守るために心に重い蓋(ふた)をして生きてきた。でも、その蓋を外して風を通したとき、初めて本当の「自由」が訪れた。
アプリの画面越しに出会ったのは、未来の介護者でも、生存の管理人でもなかった。不完全で、臆病で、それでも誰かと温もりを分かち合いたいと願う、等身大の自分自身だった。
新しい自分へ、そしてかけがえのない共犯者へ。
僕は、不合理で、不安定で、最高に幸せなこの日々を、彼女と共に一歩ずつ刻んでいく。
「独りで生きる」という覚悟に、少しだけ疲れていませんか?この世界には、条件や理屈を超えて、あなたの存在そのものを認め合える出会いが待っています。未来への不安を、誰かと分かち合える安心へ。無理に自分を繕う必要はありません。新しい自分へ、人生の後半を共に歩むパートナーを今、見つけましょう。

