「推しの幸せこそが、私の栄養素」――二次元のBLに命を捧げ、三次元の恋愛を「砂漠」だと思っていませんか?
28歳のミキは、自他共に認める重度の「腐女子」。子どもの頃から空想の世界に浸り、恋愛は「壁」になって観測するものだと信じてきました。しかし、仲間の結婚に焦りを感じて始めたアプリで、彼女の「闇(趣味)」を丸ごと受け入れてくれる、穏やかなエンジニア・智也と出会います。画面越しの妄想より、もっと熱くて尊い「リアルな愛」を知るまでの、笑いと涙の限界オタク奮闘記!
プロローグ:供給過多な妄想、砂漠のような現実
「……尊い。っ、無理、しんどい。語彙力がログアウトした……」
薄暗い部屋で、私、ミキ(28歳・仮名)は、スマホの画面に向かって深々と平伏していた。画面の中では、推しカプの「スパダリ攻め」と「健気受け」が、紆余曲折を経てようやく結ばれている。
「あぁ……この二人の幸せを末長く見守るのが私の使命。三次元の恋愛? は? 画面の解像度が低すぎて無理。実写とか情報の暴力でしょ」
子どもの頃から、空想の世界が私の居場所だった。 特に中高生時代、BLという名の聖域に出会ってからは、私の脳内は常に「A×B」か「C×D」のカップリング理論で埋め尽くされていた。
気づけば28歳。 平日は事務職として「一般人」の擬態を完璧にこなし、夜と週末は同人誌を漁り、支部(SNS)で神絵師の作品を巡礼し、脳内で妄想を「自家発電」する日々。
彼氏いない歴=年齢。男性経験、もちろんゼロ。
「私は、推したちの愛の軌跡を観測する神(壁)になれればそれでいい」
そう思っていた。けれど、去年の冬。一番の「腐れ縁」だったオタク仲間が、
「……ミキ、私、三次元で『受け』を卒業して『嫁』になるわ」
と、ダイヤモンドの婚約指輪を見せつけてきた。 その瞬間、私の脳内のカップリング理論がガラガラと音を立てて崩れた。
「ちょ、待てよ……。私だけ壁のままでいろってか? 供給を共有する仲間がいなくなったら、私はただの『孤独な壁』じゃん!」
焦った私は、生まれて初めて「三次元の男性を攻略対象として見る」という、無理ゲーに近いクエスト(恋活)を開始した。
第1章:プロフィールは「非公式」、メッセージは「解釈違い」
マッチングアプリ。それは、私にとって「地雷原」の宝庫だった。
まず、プロフィール写真。
「自撮りなんて概念、私の辞書にはない」
仕方なく、推しのぬいぐるみと一緒に撮った写真(ぬいのピントが合っていて私はボケている)を載せようとして、親友に「正気に戻れ」とはたき落とされた。なんとか無難な写真を載せ、自己紹介文を書く。
「趣味は……読書(漫画)と、美術鑑賞(イラスト)です。あと、人間観察(カップリング妄想)が好きです」
届くメッセージは、まさに「解釈違い」の連続。
相手「ミキさん、大人っぽくて素敵ですね! 今度、おしゃれなバーでも行きませんか?」
私(心の声:バー!? 暗いところで何を話せってんだ。それより新刊の解釈を3時間語り合える奴はいないのか!?)
そんな中、一人の男性とマッチングした。智也(ともや・仮名)、30歳。IT企業のエンジニア。 彼のプロフィールは、驚くほど「無」だった。
『趣味は自炊とプログラミング。あまり口は上手くないですが、誠実に向き合いたいと思っています』
(……なんだ、この「モブ」感の強いプロフ。でも、邪魔にならない。解釈の余白がある……)
なぜか惹かれた私は、彼と会うことを決意した。
第2章:オフ会? デート? リアルな「エンカウント」
初デートの日。私は「一般人擬態モード」の最高レベルを発動させた。表参道のカフェ。現れた智也さんは、プロフィール通り、清潔感はあるが極めて目立たない、いわゆる「普通の人」だった。
「はじめまして、ミキさん」
「……あ、お、お疲れ様ですっ! あ、いや、はじめまして!」(お疲れ様ですってなんだよ! 搬入日の挨拶かよ!)
緊張のあまり、私の語彙力は再びログアウトした。
しかし、智也さんは焦る私を見て、穏やかに笑った。
「緊張しますよね。僕も、実はこういうの初めてで。……ミキさん、実はすごく一生懸命、今日のために準備してくれたんじゃないですか?」
(……っ! スパダリか!? 察しが良すぎるぞ、このモブ!)
智也さんは、私の支離滅裂な話を、否定もせずに「なるほど、それは深いですね」と頷いて聞いてくれた。
三次元の男は「うるさい」「デリカシーがない」という偏見を持っていた私にとって、彼の「静かな肯定」は、聖母(マリア)の慈愛のようだった。
第3章:地雷爆発!? 部屋に溢れる「推し」たち
デートを重ねて三ヶ月。ついに、私は彼を自宅に招くことになった。
腐女子にとって、部屋は「心臓部」であり「祭壇」だ。私は三日三晩かけて、BL本をクローゼットに隠し、壁に貼ったポスターを剥がし、アクリルスタンドを厳重に梱包した。
けれど、隠しきれなかった。テーブルの隅に置かれた、推しカプが「あーん」をしている限定フィギュア。
「……あ、ミキさん。これ……」
「っ!! し、しまった! それは、そのっ、弟のっ……!」
「男の子同士が……仲良くしてるんですね」
終わった。地雷爆発。爆死だ。
「引いたよね、キモいよね!? 汚物を見るような目で見ていいよ! 私はそういう性癖の壁なんだ!」
私がパニックで喚き散らした時、智也さんは、そのフィギュアをじっと見て言った。
「……幸せそうですね、この二人。ミキさんが、自分の好きなものを大切にしてるのが伝わります。隠さなくていいですよ。僕も、プログラミングのコードをずっと眺めて『美しい』って思っちゃうオタクですから」
「……へ?」
彼は、私の「聖域」を笑わなかった。それどころか、私が必死に隠してきた「自分」を、面白そうに受け入れてくれた。
第4章:三次元の「熱」と、涙のコミケ……じゃなくて、初体験
その夜。 部屋の空気が、これまでの妄想とは全く違う、重たい「熱」を帯び始めた。
ベッドに並んで座ったとき、私は震えが止まらなかった。
脳内には五万通りのR18なシチュエーションが詰まっている。でも、いざ自分の身に降りかかるとなると、やり方が一ミリもわからない。
「……あの、智也さん。私、その……三次元の、男性経験、……ゼロなんだ。知識だけは、図鑑ができるくらいあるんだけど。……ごめん、夢女子じゃなくて腐女子だから、自分のことになると、もう、何が正解か……」
智也さんは、私の震える手を両手で包み込んだ。
「ミキさん、解釈とか正解とか、今は忘れてください。僕も、あなたを大切にしたいっていう気持ちだけで、いっぱいいっぱいですから」
彼の唇が、私の唇に触れた。
(……っ。柔らかい。……紙じゃない。液晶じゃない。……温かい)
服が脱ぎ捨てられ、肌が触れ合う。
いつもなら「受けの背中から腰にかけてのラインが神!」とか分析する脳が、真っ白にフリーズする。彼の手が、私の熱を帯びた肌をなぞる。
「……ミキさん、こっち見て。……大丈夫?」
「……あ、……ともや、さん……っ」
三次元の「重み」。彼が私の上に覆い被さったとき、私は生まれて初めて「自分が愛されている」という実感を、細胞一つひとつで受け止めた。
痛みも、熱さも、彼の吐息も。 どれもこれも、画面越しでは決して味わえなかった「情報の暴力」……いや、「愛の暴力」だった。
私は、泣いていた。
「……あぁ、……あ、っ……しんどい。……智也さん、……好き。……っ、好きすぎて、死ぬ……っ」
それは、推しに向けた言葉とは全く違う、私の心臓が、私の声帯を震わせて発した、剥き出しの告白だった。
過去も、妄想も、全部ひっくるめて「私」を抱きしめてくれる智也さんの体温に、私は初めて「観測する壁」ではなく、「愛し合う当事者」としての幸せを知った。
エピローグ:推し活と、リアルな恋の「共存」
あれから1年。 私たちの部屋には、私のBL本棚と、智也さんの技術書棚が平和に共存している。
「ミキ、今度の新刊、僕が並んで買ってこようか?」
「いいの!? 神(智也)降臨!? お礼に今日は智也の好物、全振りで作るからね!」
私は今でも、推しの幸せを願ってやまない腐女子だ。
でも、推しカプが結ばれるたびに、隣にいる智也さんの手を握って「私たちも、幸せになろうね」と笑い合えるようになった。
マッチングアプリ。それは、非現実の世界に逃げ込んでいた私が、 「現実の人間も、意外と尊いかもしれない」 と思わせてくれる、たった一人の「解釈の一致」に出会うための場所だった。
私の深すぎる闇(趣味)も、不器用な心も、すべてを「面白い」と抱きしめてくれた人。 私は今日、画面の中と外、両方の幸せに包まれて、生きています。

