「もう、誰にも気を使いたくない」
それが、私がソロキャンプを始めた理由だった。
42歳、シングルマザー歴10年。
会社では部下の育成に気を揉み、家では思春期に入った娘のご機嫌を伺う毎日。
私の人生は、常に「誰かのため」の時間で埋め尽くされていた。
だから、ボーナスをはたいて買った高級なワンポールテントは、私にとって「自立」と「自由」の象徴のはずだった。
そう、あの嵐の夜が来るまでは。
プロローグ:理想と現実のキャンプ場
週末のキャンプ場は、ファミリーやグループの楽しげな声で溢れていた。
私は少し離れた林間のサイトを選び、意気揚々と荷物を広げた。
(YouTubeで予習したから大丈夫)
そう自分に言い聞かせたが、現実は甘くなかった。
説明書と睨めっこしても、複雑なポールの構造が理解できない。もたもたしているうちに、山の天気が急変した。
ポツリ、ポツリと雨が降り出し、あっという間に土砂降りになった。
強風に煽られ、張りかけのテントが情けなく歪む。
「嘘でしょ……」
全身ずぶ濡れ。寒さで指先の感覚がなくなり、ペグを握る力も入らない。
惨めさと情けなさで、涙が雨と一緒に頬を伝った。
その時だった。
ザッ、ザッ、と重たい足音が近づいてきて、私の目の前に大きな影が立った。
第1章:無言のレスキューと熱いコーヒー
「……貸して」
低く、少ししわがれた声。
隣のサイトに手慣れた様子でテントを張っていた40代後半と思われる男性――黒木(仮名)だった。
彼は私の返事も待たず、傾いたポールを力強く支えると、驚くような手際でロープを引き、ペグを地面に打ち込んでいった。
私は呆然とその背中を見つめることしかできなかった。
迷いのない動き。雨に濡れたTシャツから浮き出る、逞しい腕の筋肉。
普段、職場にいる草食系の男性社員たちとは明らかに違う、野生的な「オス」の気配。
「入れよ。風邪引くぞ」
設営を終えた彼は、自分のテントを指差した。私のテントは寝床としては使えるが、この雨の中で過ごすには狭すぎた。
彼のテントの前室には、焚き火台で小さな炎が揺れていた。
「……すみません、ありがとうございます」
小さくなって座り込む私に、彼はシェラカップに入れた熱いコーヒーを差し出した。
「……あんた、無茶しすぎだ」
叱責ともとれるぶっきらぼうな言葉。でも、差し出されたコーヒーの温かさが、冷え切った五臓六腑に染み渡り、私はまた泣きそうになってしまった。
第2章:嵐の夜の「避難所」にて
雨脚はさらに強まり、テントを叩く音が激しさを増した。
まるで世界から切り離されたような、狭くて暗い空間。
ランタンの微かな明かりが、彼の彫りの深い横顔を照らし出している。
「……いつも、あんな風に一人で何でもやろうとするのか?」
焚き火の世話をしながら、彼がポツリと尋ねた。
「……私には、頼れる人がいないから。母親だから、強くなくちゃいけないんです」
一度口を開くと、誰にも言えなかった弱音が、堰を切ったように溢れ出した。
彼は黙って私の話を聞いていた。相槌も打たず、ただ時折、薪をくべるだけ。
その沈黙が、不思議と心地よかった。
否定も肯定もせず、ただそこに「在る」という安心感。
ふと、強い風が吹き付け、ランタンの火が消えた。
真っ暗闇の中で、彼の気配だけが濃厚になる。
焚き火の煙と、雨の匂い、そして微かな男の人の汗の匂い。
心臓の音が、雨音よりも大きく鳴り響いた。
第3章:吊り橋効果か、それとも
「……寒いか?」
暗闇の中で、彼が動く気配がした。私の肩に、厚手のブランケットがかけられる。その時、彼の手が私の二の腕に触れた。
ビクリと体が反応する。彼の手は、ゴツゴツとしていて、驚くほど熱かった。
「……少し、寒いです」
嘘をついた。本当は、彼の熱に触れて、体の芯が疼くように熱くなっていた。
彼が少しだけ身を寄せた。肩と肩が触れ合う距離。これ以上の接近は危険だと、理性は警鐘を鳴らしている。ここはキャンプ場で、私たちはただの隣人だ。でも、この嵐の夜という非日常が、私の倫理観を麻痺させていく。
「無理して強がるなよ。……見てて、危なっかしい」
耳元で囁かれた低い声が、直接脳を揺らす。その言葉は、私が一番言って欲しかった言葉だったのかもしれない。誰かに「大丈夫だ」と言って守られたかった。重たい荷物を下ろして、ただの弱い女に戻りたかった。
彼の腕が、ためらいがちに、しかし力強く私の腰を引き寄せた。
私は抵抗しなかった。いや、できなかった。
次の瞬間、彼の熱い唇が、私の凍えた唇を塞いでいた。
第4章:嵐の夜、獣になる二人
最初は、お互いの存在を確かめ合うような、静かで深いキスだった。
雨と土の匂い、そして彼の体臭が混じり合い、私の思考能力を奪っていく。
何年ぶりだろう、こんな風に誰かに強く求められるのは。
「ん……っ、黒木、さん……」
口唇が離れた一瞬、漏れた自分の声が、普段の「母親」の声とはまるで違う、甘く掠れた響きだったことに驚く。
それが合図だったかのように、彼の動きが変わった。
「……もう、離さないからな」
低く唸るような声と共に、私は狭いテントの床に押し倒された。
背中に感じるマットの硬さと、上から覆いかぶさる彼の圧倒的な重量感。
怖い。でも、それ以上に、体の奥底が歓喜の悲鳴を上げている。
彼の大きく無骨な手が、私の濡れたアウトドアジャケットの中へと侵入してくる。
冷え切っていた私の肌が、彼の手が触れた場所から火がついたように熱を帯びていく。
「あっ、そこ……だめ、そんなに強く……っ」
久しぶりに他人に触れられる感覚は、あまりに刺激が強すぎて、快楽と痛みの境界線がわからない。
テントを叩く雨音と風の音が、私たちの荒い息遣いと衣擦れの音をかき消してくれる。
まるで世界に二人きりしかいないような錯覚。
倫理も、立場も、明日への不安も、この狭い空間には存在しない。
あるのは、互いの熱を貪り合う、二匹の獣のような本能だけ。
「……いい声だ。もっと聞かせて」
彼の唇が首筋から鎖骨へと這い、私が一番弱い場所を執拗に攻め立てる。
私は彼の背中に爪を立て、シーツ代わりの寝袋を握りしめた。
頭の中が真っ白になり、自分が自分でなくなっていく感覚。
「……ほしい。もっと、あなたを……」
理性など、とうに吹き飛んでいた。私は自分から彼の首に腕を回し、さらに深く、彼を求めた。
嵐は一晩中続いた。
私たちは何度も何度も、互いの存在を確かめ合うように絡み合った。
枯れていたはずの私の体は、彼が与えてくれる熱と愛撫によって、驚くほど瑞々しく蘇っていた。
「……すごい。こんなの、初めて……」
絶頂の瞬間、私は泣きながら彼の名前を呼んでいたかもしれない。
それが、長年の孤独から解放された安堵の涙なのか、あまりの快感によるものなのか、私自身にもわからなかった。
エピローグ:都会の雑踏と焚き火の残り香
テントの隙間から白々とした朝の光が差し込む頃、ようやく私たちは体を離した。
嵐は去り、外からは小鳥のさえずりが聞こえる。
「……風邪、引くなよ」
彼は少し気まずそうに目を逸らし、私の乱れた髪を不器用な手つきで直してくれた。
その優しさが、昨夜の激しさとは対照的で、胸が締め付けられる。
私たちは、この一夜限りの共犯者だ。
週明けの月曜日。私はいつもの満員電車に揺られていた。
窓ガラスに映る自分は、少し日に焼けて、以前より目力が強くなった気がする。
そして、体の奥には、まだ彼に抱かれた熱の余韻が微かに残っていた。
「ママ、なんかワイルドになった?」
娘にそう言われて、ドキリとする。
リュックの底には、彼が別れ際に無言で渡してくれた、連絡先を書いたメモが入っている。
『何かあったら連絡しろ。キャンプのことなら教えてやる』
不器用な文字。
私は深く息を吸い込んだ。都会の空気の中に、微かに焚き火の残り香を探すように。
一人で生きていく覚悟は変わらない。
でも、たまには誰かのテントで、嵐が過ぎるのを待つのも、悪くないかもしれない。
私はスマホを取り出し、彼の番号を登録した。

日常という名の「鎧」を脱ぎ捨てるのに、必要なのはほんの少しの非日常と、一歩踏み出す勇気だけ。
都会の喧騒の中では聞こえなかった自分の本音が、ふとした瞬間に、あなたを突き動かすことがあるかもしれません。
「母」でも「会社員」でもない、ただの「女」として。
あなたの心が、そして体が震えるような出会いは、案外、予期せぬ場所で雨宿りをしているのかもしれません。
次は、あなたがその「熱」を見つける番です。
